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パトロンとは?美術史における役割やメディチ家についても解説!

皆さん、こんにちは!

絵描きのふじゆうです。

 

美術史とかを学んでいると、

パトロン」と言う言葉が、説明もなしに飛び込んでくることがあります。

普通はあまり聞かない言葉ですよね。

 

そんなパトロンについて、時代ごとのあり方や

パトロンとして有名なメディチ家についても解説していきます。

 

それでは、やって行きましょー

 

 

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パトロンとは?

美術史における「パトロン(Patron)」とは、

芸術家や作品を支援し、保護する人物や団体のことを指します。

 

パトロンは、

芸術家が創作活動に集中できるように経済的な援助や社会的な支援を提供し、

作品の制作や公開、普及を促進する役割を果たします。

 

パトロンは古代から現代までの美術史において重要な存在であり、

芸術の発展と繁栄に大きく寄与してきました。

 

 

古代から中世までのパトロン

古代エジプトや古代ローマ、古代ギリシャなど、古代文明では、

貴族富裕な市民が芸術家や建築家を支援し、

公共建築や神殿、彫刻、絵画などの制作に資金を提供していました。

 

キリスト教の発展に伴い、

中世のヨーロッパでは、教会修道院がパトロンとしての役割を果たし、

美術・彫刻・建築などの宗教的な作品を発注・支援しました。

 

 

ルネサンス期のパトロン

14世紀から17世紀にかけてのルネサンス期には、芸術・文化の復興が起こり、

芸術家は君主教会ギルドによって支援されていきます。

 

例えば、メディチ家がルネサンス期のフィレンツェで多くの芸術家をパトロンとして支援し、

レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロ

サンドロ・ボッティチェリなどがその恩恵を受けました。

この時期のパトロンによる支援は、芸術家の芸術活動を奨励し、

高度な芸術的表現を可能にしました。

 

 

バロック期から18世紀のパトロン

バロック期(17世紀)から18世紀にかけて、貴族王侯がパトロンとして活躍しました。

ルーベンスやヴェラスケスなどの巨匠は、

スペインやフランドルの王室や貴族からの支援を受け、壮大な宮廷画や宗教画を制作しました。

同様に、フランスのヴェルサイユ宮殿でも多くの芸術家がルイ14世のパトロンとして活躍しました。

 

一方、バロック期のオランダでは、

大航海時代によって富を得た商人がパトロンとして社会を動かしていました。

 

 

19世紀以降のパトロン

19世紀以降は、産業革命や市民社会の発展により、

パトロンは王侯や貴族から企業家富裕な市民に広がりました。

これにより、芸術家は個人のパトロンからのみならず、

商業ギャラリーや美術館、国や自治体からの契約を得ることも一般的になりました。

 

 

現代のパトロン

現代においても、美術館文化財団企業

富裕な個人が芸術家や文化活動を支援するパトロンとして活躍しています。

また、クラウドファンディング文化助成金などの新たな形態も登場しており、

広範な人々が芸術活動に参加する機会が増えています。

 

パトロンは、芸術家の才能の開花を支えるだけでなく、

特定の時代や地域の美術の発展に大きな影響を与えてきました。

 

 

メディチ家とは?

メディチ家は、

ルネサンス期のイタリアで台頭し、

フィレンツェを拠点として政治的・経済的な力を持ち、

芸術や文化のパトロンとしても知られる名門貴族の家系です。

彼らの活躍は、イタリア・ルネサンスの黄金時代を

支える重要な要素として位置づけられています。

 

以下にメディチ家の歴史とその主な要点を解説します。

 

メディチ家の起源と台頭

15世紀初頭、フィレンツェで銀行業を営む一族として興りました。

メディチ家当主であるジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチは、

ローマ教皇庁とのつながりを深め、銀行業の成功により家族の富を築きました。

 

メディチ家の政治的な影響力

1434年にコジモ・デ・メディチ(コジモ・イル・ヴェッキオ)が

フィレンツェの実質的な支配者となったことから、

本格的な政治的な影響力を持つようになりました。

 

彼は「父なる者」として知られ、事実上の君主としてフィレンツェを統治し、

政治において巧妙な手腕を発揮しました。

 

芸術のパトロン

メディチ家は、芸術家や学者たちを支援し、

多くの芸術作品のパトロンとなりました。

フィレンツェをルネサンス期の芸術の中心地に押し上げる一因となりました。

彼らの庇護を受けた有名な芸術家には、

レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロサンドロ・ボッティチェッリラファエロ・サンティなどがいます。

 

 

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教皇の獲得

メディチ家は、後に教皇位につくこともありました。

特に、教皇レオ10世(在位:1513年-1521年)は、

ジョヴァンニ・デ・メディチ(レオ10世就任前はジョヴァンニ・デ・メディチ)

として知られる人物で、メディチ家出身の初の教皇となりました。

 

家系の衰退

しかし、メディチ家の勢力は次第に衰退していきました。

特に、1537年のコジモ1世の死後、メディチ家の権力はしだいに減少し、

後継者に恵まれない時期もありました。

 

ロレンツォ・デ・メディチ

メディチ家の栄光の時期に登場した重要な人物として、

ロレンツォ・デ・メディチ(ロレンツォ・イル・マニフィコ)がいます。

彼はフィレンツェの名君として知られ、

文芸復興の重要な支援者であり、芸術家たちと交流しました。

 

メディチ家とフィレンツェ

メディチ家は長い間、フィレンツェの政治と文化に深い影響を与えました。

彼らの統治は一部の時期には暗い面もありましたが、

ルネサンスの興隆と芸術・文化の繁栄において欠かせない存在でした。

 

メディチ家はルネサンス期のイタリアにおいて重要な家系であり、

その政治的な影響力と芸術・文化のパトロンとしての役割により、

フィレンツェの歴史とイタリア・ルネサンスの発展に深い足跡を残しました。

 

 

まとめ

と言うことで、ざっくりですが、

パトロンメディチ家を主に解説していきました。

 

私にもパトロンが付いてくれると嬉しんですけど笑

世の中そううまくはいきませんね。

 

少しでも解ることがあったのであれば、嬉しいです。

 

では、ふじゆうでした。

また、別の記事で。