皆さん、こんにちは!
絵描きのふじゆうです。
今回は、美術史であまり注目されてこなかったマニエリスムについての記事です。
あまり、話題にならないし、影が薄い様式でもあります。
ですが、ルネサンス美術の模倣だけにとどまらない魅力があります。
マニエリスムは、どんな様式なのか?
マニエリスムの画家と作品について紹介していきます。
では、やっていきましょー
👇マニエリスム以前のルネサンスの記事はこちらから
目次
マニエリスム(mannerism)とは?
マニエリスムはマンネリの語源
美術史的に見ると、ルネサンスとバロックのに間にあたります。
16世紀中頃から末にかけて見られるイタリアの美術様式です。
マンネリと言う言葉がありますよね。
マンネリはもともとマンネリズムと言う言葉からきているのですが、
さらにマンネリズムという言葉は、マニエリスムと言う言葉が由来しています。
マニエリスムの語源は、イタリア語のマニエラで「様式」「様式」と言う意味があります。
マニエラは、英語ですと「マナー」と言う意味です。
マナーって大事じゃないですか?
マナーは、つまりお手本的な意味。
ルネサンスの美術のマナー(お手本)を真似した、
それで面白みがなくパターン化した。
つまり、マンネリ化したみたいな感じで覚えると良いかと思います。
本来、マニエリスムと言う言葉はいい意味では使われていませんでした。
マンネリと言う言葉もあんまり、そんなに良い意味で使われませんよね。
ルネサンス美術を真似した面白みのない美術様式。
みたいな感じで使われることが多かったようです。
マニエリスムが評価されるようになったのは、20世紀になってからです
今では盛期ルネサンスとは別で独立した美術様式として、
再評価を受けるようになりました。
マニエリスムの特徴
マニエリスム美術の特徴としては、
複雑な空間表現、ゆがんだ遠近法、極端な明暗、幻想的な比喩的な表現、
人間の歪んだプロポーション、激しい動きの表現、非現実的な色彩などです。
マニエリスムの画家➊ ヤコポ・ダ・ポントルモ
ポントルモは、1493にイタリアで出まれた画家です。
5歳の時に父失い10歳で母を亡くし孤児になりました。
祖母に連れられ、フィレンツェに行くことになります。
父はミケランジェロと同じ工房の画家でした。
それもあって、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの絵を見る機会も多く、
修行を続け次第にメディチ家などがパトロンに付き多くの作品を残しています。
絵を描く時は、心を閉ざしたようにアトリエをカーテンで囲い描くなど、
かなり変わり者だっと言われています。
しかし、唯一の弟子ブロンズティーノとは、生涯の良き友だったようです。
不安感のある絵や、独特の浮遊したような画風が特徴の画家です。
ヤコポ・ダ・ポントルモの作品紹介
ポントルモ「カルミニャーノの訪問」1528年
意図的に描いているのかはわかりませんが、遠近法がかなり崩れています。
建物に対して人物画大き過ぎます。
建物でも違和感はわかりますが左端に人物が小さく映っています。
サイズ感がおかしいのは明白ですね。
色彩もイラストのような非現実的な色彩をしています。
ポントルモ「幼い聖ヨハネと聖母子」1525年
凄い表情をしていると思いませんか?
ポントルモの絵は、憂鬱な表情をした人物が多いです。
右側の子供もこんなに奇麗にピースサインしているところにも違和感を感じますね。
ポントルモ「リブロの聖母」1540年
体のプロポーション(比率)がおかしいのと、
絵としてなんか分かりにくいですよね。
手が浮いているように見えますし、長すぎます。
また、子ども体が成人した大人のように筋肉質です。
ポントルモ「受胎告知」1527年
左の天使?は、羽が付いているのがわかりますが、
右の人物も地に足を付けていないような浮遊感を感じます。
マニエリスムの画家➋ アーニョロ・ブロンズィーノ
ブロンズィーノは、1503年にイタリア、フィレンツェ生まれの画家です。
貧しい肉屋の息子として生まれました。
貧しい家の生まれですが、華やかな宮廷生活に自然に溶け込み、
フィレンツェのメディチ家コジモ1世の宮廷画家になります。
ポントルモに大変可愛いがわれ、ポントルモの助手としても働いていました。
ブロンズィーノと言う名前は、髪色がブロンドだったことに由来しているようです。
画風としては全体として人工的で冷たい印象を受ける絵が多いです。
また、絵に静かな印象を受けます。
肖像画など多く残しています。
アーニョロ・ブロンズィーノの作品紹介
ブロンズィーノ「若い男の肖像」1530年頃
この絵は、メトロポリタン美術館にあります。
ブロンズィーノの自画像とも言われていた時期もあったようです。
実際のところどうなんでしょうね。
あまり、素顔は明かされていないです。
ブロンズィーノ「ルクレツィア・パンチャティキの肖像」1540年
写実的で明暗の対比がバロック美術のようなところもあります。
ブロンズィーノ「エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョバンニ」1545年
ドレスの質感表現など巧みで繊細に描かれています。
ブロンズィーノ「愛の勝利の寓意」1540年
肖像画は静かな印象を受ける絵が多いですが、
宗教画?などは、動きのある絵が多いです。
因みにこの絵は、ロンドンのナショナルギャラリーにあります。
背景をよく見ていくといろんなものが描かれています。
左下に鳩だったり、中央左に苦しそうに頭を抱えた人物が描かれていたりしています。
マニエリスムの画家➌ パルミジャニーノ
パルミジャニーノは、1503年イタリア北部のパルマ生まれの画家です。
2歳で父を失い、画家だった叔父に育てられながら、絵画を学びました。
16歳でパルマの祭壇画を任せられるなど、若い頃から才能を発揮していました。
本名は、ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラです。
パルミジャニーノと言う名前は、「パルマ人」と言う意味のようです。
容姿も奇麗な顔立ちしていますよね。
彼は、晩年に錬金術にすべてを費やし絵を描くことを辞めてしまいました。
髪や髭も伸び放題になり、当時の優雅な容姿とはすっかり変わってしまったそうです。
精神的にもおかしくなり37歳で赤痢でこの世を去っています。
パルミジャニーノの作品紹介
パルミジャニーノ「自画像」1524年
ルーブル美術館にある自画像です。
スフマート技法(ぼかし)が使われていますね。
パルミジャニーノ「聖バルバラ」 プラド美術館所蔵
明暗対比が強く、スポットライトを当てたような表現がレンブラントの絵に似た部分もあります。
下の方のドレスのタッチ感は、初日的と言うよりは、タッチ感を生かした表現をしていますね。
美しい横顔です。
パルミジャニーノ「長い首の聖母」 1535年
マニエリスムと言えばこの絵が取り上げられることが多いです。
首の長さが通常より長く描かれています。
体の各パーツの長さもかなり崩れています。
さらに極端な遠近法が使われています。
手のしなやかな表現などは、レオナルド・ダ・ヴィンチを手本にしたと言われています。
その他、伏し目、面長、微かなほほ笑みもダ・ヴィンチの絵に似た部分が多いです。
上は、パルミジャニーノの「薔薇の聖母」
下は、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」です。
どうです?、にてませんか?
服のしわの密集したところも似ています。
マニエリスムの画家❹ ジュゼッペ・アルチンボルド
アルチンボルドは、1526年イタリアのミラノで生まれの画家です。
画家の息子として生まれました。
36歳でウィーンのハプスブルク家の宮廷画家となり皇帝3代に渡って、愛されてきました。
果物や野菜、魚、動物などを組み合わせた肖像画を描くのが特徴的です。
というか、特徴がありすぎます。
見ようによつてはグロテスクです。
このような絵はハプスブルク家の繁栄を謳いあげる物で、
皇帝からヨーロッパ宮廷への「社交上の贈り物」として人気があったそうです。
こんな絵を飾ってたら、ちょっと怖そうですけどね。
また、彼は宮廷のあらゆるデザインも手掛けたり、
祝典や馬上槍試合の企画など非凡な才能を発揮しました。
宮廷人として華やかな人生を送りましたが、死後にバロック芸術が栄えると、彼の名は忘れ去られていきます。
ですが、彼の遊び心がありユニークな作品は時代を超え、
20世紀の画家ダリらを魅了します。
「シュルレアリズムの偉大な祖父」なんて言われています。
ジュゼッペ・アルチンボルドの作品紹介
アルチンボルド「ウェルトゥムヌズに扮するルドルフ2世」1591年
野菜や果物などを組み合わせて、人の顔になっています。
遠目で見ると気持ち悪いですよね。
近くで見ると各パーツが野菜や果物、花なので普通です。
ある意味このような題材で気持ち悪く描けるのもすごいと言えます。
現代アートとしても、通用する芸術性ですよね。
アルチンボルド 四季「春」1563年
春野菜や、春の植物で描かれています。
アルチンボルド 四季「冬」1563年
冬なので、枯れた葉っぱ、そして彩度を落として、暗い感じの印象になっています。
アルチンボルド 四大元素「大気」1566年
もはやタイトルが謎です。
アルチンボルド 四大元素「水」1566年
真珠のアクセサリーを付けているので、女性かと思われます。
真珠自体も海の物ですね。
アルチンボルド 「司書」1566年
おとぎ話、不思議の国のアリスに出てきそうな絵ですね。
アルチンボルド 上下絵「コック・肉」1570年
このようなだまし絵も描いています。
上がコックの顔で、下が皿の上の肉です。
アルチンボルド 上下絵「人の顔・フルーツ皿」1590年
上が人の顔で、下が普通のフルーツ皿です。
面白いですね。
江戸時代末期の浮世絵師、歌川国芳もアルチンボルトの影響を受けたと思われる絵があります。
歌川国芳 「みかけはこわいがとんだいい人だ」1847年
描くのにかなり頭を使いそうですね。
マニエリスムの画家❺ エル・グレコ
エル・グレコは、1541年ベネツィアのクレタ島で生まれの画家です。
クレタ島はエーゲ文明とかで有名ですよね。
20代でスペインに渡り、人生のほとんどをトレドで暮らしました。
スペインでは初の宗教画家でもあります。
グレコとは、イタリア語で「ギリシャ人」と言う意味です。
スペイン人にとって、彼の本名が呼びずらかったから、
こう呼ぶようになりました。
因みに本名は、ドメニコス・テオトコプーロスです。
日本時からしても、呼びにくいですね。
また、ギリシャ人としても誇りを持っていたようです。
小顔で長身の人物画が特徴的です。
また、写実的と言うよりは、イラスト的で、
現代のアニメやデフォルメの表現に通じるものがあります。
グレコは、38年間スペインのトレドで過ごして、
73歳でこの世を去っています。
エル・グレコの作品紹介
エル・グレコ「受胎告知」1570年
構図が斬新ですよね。
三角構図に1点透視図法、右の人物のしわなど、
現実的ではなく、日本の漫画などのしわの描き方に似ています。
表現もイラストっぽいですよね。
エル・グレコ「受胎告知」1600年
エル・グレコ「童女マリア」1594年頃
アメコミっぽいというか、そんな印象です。
エル・グレコ「無原罪の御宿り」
複雑で凄い絵です。
言葉が出ません。
エル・グレコ「トレド風景」1600年 メトロポリタン美術館所蔵
このころは、風景画は主題になることはありませんでした。
風景画の先駆け的な作品です。
グレコの絵は、特徴的なので一目で彼の絵ってわかりますね。
まとめ
と言うことで、マニエリスムの画家や作品を紹介していきました。
マニエリスムの画家たちはこの後のバロック様式の発展で
急速に忘れ去られていきます。
マニエリスム様式は、模倣だとか異質だとか言われますが、
「美とはいったい何なのか?」と追求した芸術家たちのあがきを感じませんか。
マニエリスムの雰囲気が少しでも伝わったであれば、嬉しいです。
では、ふじゆうでした。
また、別の記事で。
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