皆さん、こんにちは!
絵描きのふじゆうです。
ゴヤって知っていますか?
ゴヤと言えば、怖い絵が印象的な画家です。
ですがそれは、あるきっかけからそういう絵が多くなっています。
初期の頃は、ロココよりの官能的な絵も残しています。
どうしてそうなって行ったのでしょうか?
時代背景、生い立ち、作品紹介と共にゴヤについて解説してこうと思います。
それではやって行きましょー
目次
ゴヤの時代背景、美術様式「ロマン主義」とは?
まずは、時代背景から解説していきます。
一応、作風としてはロマン主義と説明されることが多いです。
美術におけるロマン主義は、18世紀末から19世紀初頭にかけて、
主にヨーロッパで興隆した芸術運動です。
ナポレオンが支持する「新古典主義」と対を成します。
👇「新古典主義」は、別記事で解説しているので興味ある方は下からどうぞ。
ロマン主義は、
理性や合理性よりも感情や個人的な経験を重視し、
自然の力強さや人間の内面世界、幻想的な要素に魅了される傾向が特徴的です。
以下に、ロマン主義の主な特徴を解説します。
ロマン主義の主な特徴➊ 感情豊かな表現
ロマン主義の芸術家は感情の表現を重視し、
喜び、哀しみ、恐怖、希望などの情熱的な感情を描写することで、
観客の心に強い共感を呼び起こすことを意図しました。
ロマン主義の主な特徴➋ 自然への崇拝
ロマン主義の芸術家は自然の偉大さや神秘性に魅了されました。
壮大な風景や野生の自然、荒涼とした風景が多くの作品で描かれました。
自然は人間の感情や精神的な状態を反映させる象徴的な役割を果たしました。
ロマン主義の主な特徴➌ 過去への回帰
ロマン主義の芸術家はしばしば中世や古典的な過去への憧れを示しました。
歴史的なエピソードや伝説、神話がテーマとして取り上げられ、
英雄や騎士、神話的なキャラクターが頻繁に描かれました。
ロマン主義の主な特徴❹ 個人の表現と内面世界
ロマン主義は個人の感情や内面世界を重視しました。
芸術家は自己の内なる感情や幻想を表現することを重要視し、
自己の内なる世界を視覚化する手段として芸術を活用しました。
ロマン主義の主な特徴❺ 現実と夢幻の融合
ロマン主義の作品はしばしば現実と夢幻が交錯する特徴を持っています。
夢幻的な要素や超自然的な出来事が描かれ、
現実と非現実の境界が曖昧になることがあります。
ロマン主義の芸術は、当時の社会や政治的な変化、
個人のロマンチックな精神を反映しており、
感情的な共鳴を求める人々に強い影響を与えました。
また、ロマン主義は後の芸術運動や文学、
音楽にも大きな影響を与えた重要な運動として位置づけられています。
ゴヤの生い立ちなど
上の絵はゴヤによる自画像です。
ゴヤは、1746年スペイン生まれの画家で、
本名は、フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスと言います。
貧しいメッキ職人の子として産まれています。
18歳の時にマドリードへ出て、
最初の頃はタペストリー工場の下絵やスケッチを描いていたいそうです。
肖像画なども描くようになり、40歳ぐらいの時にカルロス4世の宮廷画家になります。
その時期は、画家活動も調子が良かったのですが、
47歳(1803年)の時に重病にかかり、耳が聞こえなくいなってしまいます。
耳が聞こえなくなってからも、画家活動は続けており、
「黒い絵」と呼ばれる連作を14枚など多くの傑作残しています。
1824年には、ナポレオンによる弾圧を避けるためフランスのボルドーにに亡命しています。
1828年に、そのままフランスで亡くなっています。
ゴヤの絵画作品を紹介
👆ゴヤと言えば、この絵が有名じゃないでしょうか?
1800年頃に描かれたプラド美術館にある「裸のマハ」です。
後ほど紹介します。
ゴヤ「日傘(1777年)」 プラド美術館所蔵
1777年なので、31歳の時の作品ですね。
ゴヤの絵とは思えない、ロココ感満載の絵です。
ゴヤ「ドン・マヌエル・オソリオマンリケデ・スニゲの肖像(1787年)」
ゴヤ「セバスチャン・マルチネスの肖像」
ゴヤ「白衣のアルバ女公爵(1797年)」
この時期は、肖像画を良く描いていました。
ゴヤ「カルロス4世の家族(1800年)」 プラド美術館所蔵
この絵は、ゴヤがカルロス4世の宮廷画家だった時の絵です。
左奥の影に映る人物がゴヤです。
左手前の立つ男性がフェルナンド7世で、
右手前に立つ黒い服の男性がカルロス4世になります。
この絵は、ベラスケスの絵をお手本にして描かれたと言われています👇
上の作品は、ベラスケスの「ラス・メニーラス(1656年)」です。
この作品も、画家本人のベラスケスが左側で絵を描いています。
構図が似ていますよね。
ゴヤ「平和公マヌエル・デ・ゴドイ(1801年)」 プラド美術館所蔵
中央の人物は、当時ナポレオンと争ったスペインの主相ゴドイです。
最初に紹介した「裸のマハ」は、ゴドイが失脚した後の邸宅から発見されています。
この絵は、西洋美術で初めてのヌードと言われています。
他にも裸の絵はいっぱいあるじゃないかと思われるかもしれませんが、
その理由は、女性の陰毛を描いたからです。
当時スペインでは問題になりました。
ゴヤは、この絵は誰の依頼によって書かれたのか?と異端尋問を受けることになります。
結局、ゴヤは口を割ることはなかったようです。
ですが、おそらくゴドイの邸宅から発見されたことから、
ゴドイの依頼で描いた絵だろうと推測されています。
ゴヤ「裸のマハ」と「着衣のマハ」
「裸のマハ」とは別で、「着衣のマハ」と言う絵もあります。
こちらも、ゴドイの邸宅から見つかっており、
ゴドイは、「裸のマハ」を「着衣のマハ」の後ろに隠していました。
自宅に滑車式の吊り下げ機を置き、どちらの絵も見られるようにしていたそうです。
この絵も、プラド美術館にあります。
ゴヤ「1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺」(1814年)
この絵も歴史の教科書などで見たことあるのではないでしょうか?
この絵もゴヤの作品です。
この絵画は、スペイン独立戦争中の1808年5月3日に、フランス軍に対するスペイン民衆の蜂起と、
それに対するフランス軍の残虐な報復を描いています。
スペイン独立戦争はナポレオンのフランス帝国がスペインに侵攻し、
スペイン民衆がその支配に抵抗した戦争です。
特筆すべきは、絵画の右側に描かれたフランス軍の兵士たちです。
彼らは無慈悲なまでにスペイン民衆に向けて銃を構え、射殺しています。
彼らの冷酷な表情や傲慢な態度は、フランス軍の非人道的な行為を象徴しています。
絵画の象徴的な要素の一つは、スペイン民衆の一番前に描かれた男性の姿です。
彼は光に照らされており、手を広げているように見えます。
これはキリスト教の聖母マリアを象徴しており、スペイン人たちの犠牲と献身を表しています。
「1808年5月3日」は、戦争の悲劇と戦争による苦しみと犠牲を描いた作品として、
ゴヤの芸術的な成果と同時に政治的なステートメントとしても注目されています。
ゴヤは芸術を通じて現実を描くことによって、戦争の恐ろしさと人間の非情さを強調しました。
これ以降は、聴覚を失っているのもあり、
グロテスクな作品が多いです。
下は、聴覚を失つている当時の自画像です。(1815年)当時69歳
ゴヤの黒い絵画「我が子を食らうサトゥルヌス」
「我が子を食らうサトゥルヌス」(Saturn Devouring His Son) は、
ゴヤが1819年から1823年頃に描いた絵画の1つで、
彼の「黒い絵画」シリーズの中でも最も有名な作品の一つです。
この作品は、ローマ神話に登場するサトゥルヌスに触発されており、
サトゥルヌスが自分の子供を飲み込んでしまうという衝撃的な場面を描いています。
神話によれば、サトゥルヌスは自分の子供たちが自分の王位を奪うことを恐れて、
生まれた子供たちを次々に食べてしまったと言われています。
ゴヤは自身の内面的な苦悩と不安を反映させた黒い絵画シリーズを描くことで、
個人的な感情や精神的な闇について表現しました。
これらの絵画は、彼の晩年に孤立し、聴力を失い、
スペインがナポレオン戦争の影響を受けていた時期に制作されています。
したがって、この作品はゴヤの心の暗闇と、
彼が社会や人間性に対して感じていた深い不信感を反映していると考えられています。
非常に暗く、不気味な画風で描かれており、
描画はぼんやりとした筆触で、絵画全体に暗いトーンです。
サトゥルヌスの目は狂気じみた視線をしており、彼の行為は極度の絶望と狂気を感じさせます。
この作品は、ゴヤの心の内に秘められた不安定な感情や暗闇を探求するものとして、
芸術的に非常に重要であり、後世の芸術家にも影響を与えました。
ゴヤのその他の黒い絵画
ゴヤ「ボルドーのミルク売りの少女」(1827年)
ゴヤ「砂に埋もれる犬(1823年)」
ゴヤ「レオカディア」(1823年)
ゴヤ「自慰する男をあざける二人の女」
ゴヤ 二人の老人
おまけ 「巨人」は、ゴヤの絵ではない?
この作品「巨人」は、ゴヤの作品と思われていましたが、
弟子のアセンシオ・フリアが描いたものだとプラド美術館が2009年に発表しています。
この巨人は、フェルナンド7世を描いたもだと言われています。
後ろ姿で解りませんが、確かに似ているような気がしますね。
まとめ
今回は、画家のゴヤについて、
時代背景、生い立ちや作品紹介していきました。
ゴヤの作品は、スペイン・マドリードのプラド美術館に多く所蔵されています。
ヨーロッパ旅行に行く際は目的地としてみてもいいのではないでしょうか。
私は行きたくなりました笑
では、ふじゆうでした。
また、別の記事で。
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